呻吟語 / 内篇・問學・百尺竿頭に進み到る
體認要嘗出悅心真味工夫,更要進到百尺竿頭始為真儒。
新字:体認要嘗出悅心真味工夫,更要進到百尺竿頭始為真儒。
書き下し
體認は悅心の真味を嘗め出だすの工夫を要す。更に百尺竿頭に進み到りて始めて真儒と為る。
現代語訳
体で会得するには、心が喜ぶ本当の味わいを嘗め当てる工夫が要ります。さらに百尺の竿の先まで進み至って、初めて本物の儒者となります。
解説
体認の目標を二段で示します。まず心が喜ぶ本当の味わいを知ること、さらに百尺の竿の先まで進むこと。百尺竿頭は禅語で、行き着いた先からさらに一歩進むことを指します。味わいを知った段でも足りないとするのが厳しいところで、満足できる地点を先へ先へ動かしていく構えになっています。満足できる地点を、先へ先へ動かしていく構えです。
この章句が説くこと
体認真味百尺竿頭到達満足
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