呻吟語 / 内篇・問學・誠の掩ふ可からざること此の如し
裡面五分,外面只發得五分,多一釐不得;裡面十分,外面自發得十分,少一釐不得。誠之不可掩如此,夫故曰不誠無物。
新字:裡面五分,外面只発得五分,多一釐不得;裡面十分,外面自発得十分,少一釐不得。誠之不可掩如此,夫故曰不誠無物。
書き下し
裡面五分ならば、外面只だ五分を發し得、一釐も多く得ず。裡面十分ならば、外面自ら十分を發し得、一釐も少なく得ず。誠の掩ふ可からざること此の如し。夫れ故に誠ならざれば物無しと曰ふ。
現代語訳
内側が五分なら、外側には五分しか現れず、毛ほども多くは出せません。内側が十分なら、外側にはおのずと十分現れ、毛ほども少なくはできません。誠が覆い隠せないのはこの通りです。だから誠でなければ物は無いと言うのです。
解説
内と外の量が正確に一致することを示します。多くも見せられず、少なくも隠せない。取り繕いも謙遜も効かないという厳密さです。中庸の、誠は覆い隠せないという一句と、誠でなければ物は無いという一句を、この計量関係で説明しました。見え方の操作が原理的に不可能だと分かる一段です。見え方の操作が、原理的に不可能だと分かる一段です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
誠内外一致隠せない量
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