呻吟語 / 内篇・問學・一たび間斷すれば漸く疏離を覺ゆ
一率作,則覺有意味,日濃日豔,雖難事,不至成功不休;一間斷,則漸覺疏離,日畏日怯,雖易事,再使繼續甚難。是以聖學在無息,聖心曰不已。一息一已,難接難起,此學者之大懼也。余平生德業無成,正坐此病。《詩》曰:「日就月將,學有緝熙於光明。」吾黨日宜三復之。
新字:一率作,則覚有意味,日濃日豔,雖難事,不至成功不休;一間断,則漸覚疏離,日畏日怯,雖易事,再使継続甚難。是以聖学在無息,聖心曰不已。一息一已,難接難起,此学者之大懼也。余平生徳業無成,正坐此病。《詩》曰:「日就月将,学有緝熙於光明。」吾党日宜三復之。
書き下し
一たび率ゐ作せば、則ち意味有るを覺え、日に濃く日に豔なり。難事と雖も、功を成すに至らざれば休まず。一たび間斷すれば、則ち漸く疏離を覺え、日に畏れ日に怯なり。易事と雖も、再び繼續せしむること甚だ難し。是を以て聖學は無息に在り、聖心は不已と曰ふ。一たび息み一たび已めば、接ぎ難く起こし難し。此れ學者の大懼なり。余平生德業成る無きは、正に此の病に坐す。
現代語訳
ひとたび率いて始めれば、味わいがあると感じられ、日ごとに濃く日ごとに鮮やかになります。難しい事でも、成し遂げるまでやめません。ひとたび途切れれば、次第に遠ざかったと感じ、日ごとに恐れ日ごとに怯えます。易しい事でも、再び続けさせるのは実に難しい。だから聖人の学は息まないことにあり、聖人の心は止まないと言うのです。ひとたび息み、ひとたび止めれば、つなぎ直すのも起こし直すのも難しい。これが学ぶ者の大きな恐れです。私の生涯に徳も業も成らなかったのは、まさにこの病のせいです。
解説
続けている時と途切れた時の心理を、対で描きます。続いていれば日ごとに濃くなり、途切れれば日ごとに怖くなる。再開が難しいのは、能力ではなく恐れのせいだと分かります。そして呂坤は、自分の生涯に何も成らなかったのはこの病のせいだと書き添える。告白の形をとることで、説教ではなく共感の一段になっています。告白の形をとることで、説教ではなく共感の一段になっています。
この章句が説くこと
継続中断再開恐れ告白
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