呻吟語 / 内篇・修身・惟だ憂ふる故に勤め、惟だ惕る故に勵む
恒言「疏懶勤謹」,此四字每相因。懶生疏,謹自勤。聖賢之身豈生而惡逸好勞哉?知天下皆惰慢則百務廢弛,而亂亡隨之矣。先正云:古之聖賢未嘗不以怠惰荒寧為懼,勤勵不息自強;曰懼;曰強而聖賢之情見矣,所謂憂勤惕勵者也。惟憂故勤,惟惕故勵。
新字:恒言「疏懶勤謹」,此四字毎相因。懶生疏,謹自勤。聖賢之身豈生而悪逸好労哉?知天下皆惰慢則百務廃弛,而乱亡随之矣。先正云:古之聖賢未嘗不以怠惰荒寧為懼,勤励不息自強;曰懼;曰強而聖賢之情見矣,所謂憂勤惕励者也。惟憂故勤,惟惕故励。
書き下し
恒言に「疏懶勤謹」、此の四字は每に相因る。懶は疏を生じ、謹は自ら勤む。聖賢の身は豈に生まれながらにして逸を惡み勞を好まんや。天下皆な惰慢なれば則ち百務廢弛して亂亡之に隨ふを知ればなり。先正云ふ、古の聖賢は未だ嘗て怠惰荒寧を以て懼れと為し、勤勵して息まず自ら強めずんばあらず、と。惟だ憂ふる故に勤め、惟だ惕る故に勵む。
現代語訳
よく言う疏、懶、勤、謹の四字は、いつも互いに繋がっています。無精は粗さを生み、慎みは自然と勤めに向かいます。聖賢の身が、生まれつき安楽を憎み苦労を好んだわけがあるでしょうか。世の中がみな怠け緩めば、あらゆる務めが廃れ、乱れと滅びがそれに続くと知っていたからです。先の賢者は言いました。昔の聖賢は、怠りと安逸を恐れとし、励んで休まず自ら強めなかったことはない、と。憂えるから勤め、恐れるから励むのです。
解説
聖人が勤勉なのは、労苦が好きだからではないと断ります。理由は恐れで、皆が緩めば務めが廃れ国が滅ぶと知っているからです。四字の連鎖も明快で、無精が粗さを生み、慎みが勤めを生む。そして最後の二句が印象的です。憂えるから勤め、恐れるから励む。勤勉の動機を、意欲ではなく恐れに置いた率直な説明になっています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
勤勉怠惰恐れ動機慎み
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