呻吟語 / 内篇・問學・廣眾は幽獨の證佐
已所獨知,盡是方便;人所不見,盡得自由。君子必兢兢然細行,必謹小物不遺者,懼工夫之間斷也,懼善念之停息也,懼私欲之乘間也,懼自欺之萌櫱也,懼一事苟而其徐皆苟也,懼閒居忽而大庭亦忽也。故廣眾者,幽獨之證佐;言動者,意念之枝葉。意中過,獨處疏,而十目十手能指視之者,枝葉、證佐上得之也。君子奈何其慢獨?不然,苟且於人不見之時,而矜持於視爾友之際,豈得自然?豈能周悉?徒爾勞心,而慎獨君子己見其肺肝矣。
新字:已所独知,尽是方便;人所不見,尽得自由。君子必兢兢然細行,必謹小物不遺者,懼工夫之間断也,懼善念之停息也,懼私欲之乗間也,懼自欺之萌櫱也,懼一事苟而其徐皆苟也,懼閒居忽而大庭亦忽也。故広眾者,幽独之證佐;言動者,意念之枝葉。意中過,独処疏,而十目十手能指視之者,枝葉、證佐上得之也。君子奈何其慢独?不然,苟且於人不見之時,而矜持於視爾友之際,豈得自然?豈能周悉?徒爾労心,而慎独君子己見其肺肝矣。
書き下し
已の獨り知る所は、盡く是れ方便なり。人の見ざる所は、盡く自由を得。君子は必ず兢兢然として細行し、必ず小物を謹みて遺さざるは、工夫の間斷するを懼れ、善念の停息するを懼れ、私欲の間に乘ずるを懼れ、自欺の萌櫱するを懼れ、一事苟にして其の徐も皆な苟なるを懼れ、閒居忽にして大庭も亦た忽なるを懼るればなり。故に廣眾なる者は、幽獨の證佐なり。言動なる者は、意念の枝葉なり。意中に過ち、獨處に疏なるも、十目十手能く之を指視するは、枝葉・證佐の上に之を得ればなり。
現代語訳
自分だけが知っているところでは、何でも都合よくできます。人の見ないところでは、すべて自由が利きます。君子が必ず恐れ慎んで細かな行いを整え、小さな事も落とさないのは、工夫が途切れるのを恐れ、善い思いが止まるのを恐れ、私欲が隙に乗るのを恐れ、自分を欺く芽が出るのを恐れ、一つの事を間に合わせにすれば残りもみな間に合わせになるのを恐れ、独り居で緩めば人前でも緩むのを恐れるからです。だから大勢の場は、独りの時の証人です。言葉と行いは、思いの枝葉です。心の中で過ち、独りの時に粗くても、十の目十の手がそれを指さし見られるのは、枝葉と証人から知れるからです。
解説
この章句が説くこと
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