呻吟語 / 内篇・修身・本態は自然に露出す
任教萬分矜持,千分點檢,裡面無自然根本,倉卒之際、忽突之頃,本態自然露出。是以君子慎獨。獨中只有這個,發出來只是這個,何勞迴護?何用支吾?
新字:任教万分矜持,千分点検,裡面無自然根本,倉卒之際、忽突之頃,本態自然露出。是以君子慎独。独中只有這個,発出来只是這個,何労迴護?何用支吾?
書き下し
萬分の矜持、千分の點檢に任教すとも、裡面に自然の根本無くんば、倉卒の際、忽突の頃、本態は自然に露出す。是を以て君子は獨を慎む。獨中には只だ這個有り、發出し來たれば只だ是れ這個なり。何ぞ迴護するを勞せん、何ぞ支吾するを用ひん。
現代語訳
どれほど身構え、どれほど点検したとしても、内側に自然の根が無ければ、とっさの時、思いがけない瞬間に、もとの姿が自然と出てしまいます。だから君子は独りの時を慎みます。独りの時にあるものだけが、出てくるものです。どうしてかばう手間をかけ、言い繕う必要があるでしょうか。
解説
取り繕いは、とっさの瞬間に必ず破れると言います。だから慎独、つまり独りの時の振る舞いが問題になる。独りの時に持っているものだけが、いざという時に出てくるからです。そして最後の二句が軽やかで、根があるならかばう手間も言い繕う必要も無い。慎独を、道徳的な厳しさではなく、取り繕いの手間から解放される道として描いているのが面白いところです。
この章句が説くこと
慎独取り繕いとっさ根本性
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