呻吟語 / 内篇・存心・獨の字は就ち是れ意の字
問:「慎獨如何解?」曰:「先要認住獨字,獨字就是意字。稠人廣坐、千軍萬馬中,都有個獨。只這意念發出來是大中至正底,這不勞慎就將這獨字做去,便是天德王道。這意念發出來,九分九釐是,只有一釐苟且為人之意,便要點檢克治,這便是慎獨了。」
新字:問:「慎独如何解?」曰:「先要認住独字,独字就是意字。稠人広坐、千軍万馬中,都有個独。只這意念発出来是大中至正底,這不労慎就将這独字做去,便是天徳王道。這意念発出来,九分九釐是,只有一釐苟且為人之意,便要点検克治,這便是慎独了。」
書き下し
問ふ、「慎獨は如何に解せん」と。曰く、「先づ獨の字を認め住むるを要す。獨の字は就ち是れ意の字なり。稠人廣坐、千軍萬馬の中にも、都て個の獨有り。只だ這の意念發し出で來たるが是れ大中至正底ならば、這れ慎むを勞せずして將に這の獨の字を做し去らん、便ち是れ天德王道なり。這の意念發し出で來たるが、九分九釐是なるも、只だ一釐の苟且に人の為にするの意有らば、便ち點檢克治するを要す。這れ便ち是れ慎獨なり」と。
現代語訳
問いました。慎独はどう解すればよいのでしょうか。答えます。まず独という字を捉えておくことです。独という字は、そのまま意という字です。人がひしめく広間、千軍万馬の中にも、独はあります。ただこの思いが出てくるところが大いに中正であるなら、慎むまでもなくこの独を行っていける。それが天の徳であり王の道です。この思いが出てきたところが、九分九厘まで正しくても、ほんの一厘でも人のためを装ういい加減な心があれば、点検して克ち治める必要があります。これが慎独です。
解説
慎独の独が、一人でいることではなく思いのことだと定義されます。人がひしめく広間にも千軍万馬の中にも独はある、と。場所の話を心の話に置き換える読み方です。そして判定の細かさが示されます。九分九厘正しくても、一厘の下心があれば点検せよ、と。比率で語るので基準が具体的になり、ほとんど正しいという状態が合格ではないことがはっきりします。
この章句が説くこと
慎独意場所比率下心
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