呻吟語 / 内篇・修身・面目は公の證なり
渾身都遮蓋得,惟有面目不可掩。面目者,公之證也。即有厚貌者,卒然難做預備,不覺心中事都發在面目上。故君子無愧心則無怍容。中心之達達以此也,肺肝之視視以此也。此修己者之所畏也。
新字:渾身都遮蓋得,惟有面目不可掩。面目者,公之證也。即有厚貌者,卒然難做預備,不覚心中事都発在面目上。故君子無愧心則無怍容。中心之達達以此也,肺肝之視視以此也。此修己者之所畏也。
書き下し
渾身都て遮蓋し得るも、惟だ面目のみ掩ふ可からず。面目なる者は、公の證なり。即ち厚貌なる者有るも、卒然として預備を做し難く、覺えず心中の事都て面目上に發す。故に君子は愧心無ければ則ち怍容無し。中心の達達は此を以てなり、肺肝の視視は此を以てなり。此れ己を修むる者の畏るる所なり。
現代語訳
全身どこでも覆い隠せますが、顔だけは隠せません。顔は公けの証人です。厚い見せかけを持つ者でも、とっさには備えができず、気づかないうちに心の中のことが顔に出てしまいます。だから君子は恥じる心が無ければ、ばつの悪い顔にもなりません。心の中が外に届くのはこのためであり、肝まで見透かされるのもこのためです。これが身を修める者の恐れるところです。
解説
顔を公けの証人と呼びます。どれだけ取り繕っても、とっさの瞬間には備えが間に合わない。大学の、人は肺肝まで見透かされるという一節を、顔という一点に集約して説明した形です。そして恥じる心が無ければ、ばつの悪い顔にもならないと言います。隠す技術を磨くより、隠すものを持たないほうが早いという結論になっています。
この章句が説くこと
顔隠す証人慎独本心
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・面目都て是れ精神なれば漏泄已に多し有德の容は、深沉凝重にして、內は充然として餘り有り、外は闃然として跡無し。若し面目都て是れ精神ならば、即ち諸を口に出ださざるも、漏泄已に多し。畢竟是れ養ひ得ること浮淺なり。之を譬ふれば量無き人の一杯の酒にして便ち面目に達するがごとし。
-
『呻吟語』内篇・修身・屋漏に工夫少なし容貌は沉雅自然なるを要す。只だ一些の浮淺の色、作為の狀有らば、便ち是れ屋漏に工夫少なきなり。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・予面に愧づる有り予を相する者有り、面上の部位多く貴しと謂ひ、處處之を指す。予曰く、「憂ふる所は此に在らざるなり。汝予が一心を相て天下の理を包藏し得るを要し、予が兩肩を相て天下の事を擔當し得るを要し、予が兩腳を相て萬事を踏み得て定まるを要す。貴からずと雖も、子奚ぞ憂へん。然らずんば、予面に愧づる有り」と。
-
『呻吟語』内篇・修身・心に留言無く、言に擇人無し心に留言無く、言に擇人無く、肺肝を露はすと雖も、君子は取らざるなり。彼は固より自ら以て光明と為す。君子何ぞ嘗て光明ならざらん。自ら輕がるしく言はず、言へば則ち心口一の如きのみ。
-
『呻吟語』内篇・應務・疑ふ可きの跡を人に示さず心は實に然らずして、跡は實に然り。人は其の然るの跡を執り、我は其の然らざるの心を辨ず。百口と雖も、相ひ信ぜざるなり。故に君子は疑ふ可きの跡を人に示さず、其の辨じ難きの心を自ら誣ひず。何となれば、正大の心は人に孚あること素より、光明の行は掩覆する所無ければなり。倘し我を疑ふ者有らば、之に任すのみ。嘵嘵として何為るぞ。
-
『呻吟語』内篇・問學・廣眾は幽獨の證佐已の獨り知る所は、盡く是れ方便なり。人の見ざる所は、盡く自由を得。君子は必ず兢兢然として細行し、必ず小物を謹みて遺さざるは、工夫の間斷するを懼れ、善念の停息するを懼れ、私欲の間に乘ずるを懼れ、自欺の萌櫱するを懼れ、一事苟にして其の徐も皆な苟なるを懼れ、閒居忽にして大庭も亦た忽なるを懼るればなり。故に廣眾なる者は、幽獨の證佐なり。言動なる者は、意念の枝葉なり。意中に過ち、獨處に疏なるも、十目十手能く之を指視するは、枝葉・證佐の上に之を得ればなり。