呻吟語 / 内篇・問學・為す所無くして為す
無所為而為,這五字是聖學根源。學者入門念頭就要在這上做。今人說話第二三句便落在有所為上來,只為毀譽利害心脫不去,開口便是如此。
新字:無所為而為,這五字是聖学根源。学者入門念頭就要在這上做。今人説話第二三句便落在有所為上来,只為毀誉利害心脫不去,開口便是如此。
書き下し
為す所無くして為す、這の五字は是れ聖學の根源なり。學者入門の念頭は就ち這の上に在りて做すを要す。今人說話は第二三句にして便ち有所為の上に落ち來たる。只だ毀譽利害の心脫し去らざるが為に、口を開けば便ち是れ此の如し。
現代語訳
何かのためにするのではなく、そうするからする。この五字が聖人の学の根源です。学ぶ者は入門の心構えを、この上で作らねばなりません。今の人は話し始めて二言三言目には、もう何かのためという話に落ちてきます。ただ毀誉や利害の心が抜けきらないので、口を開けばこうなるのです。
解説
動機の話を、会話の癖から診断します。二言三言で目的の話になる。本人は理路整然と話しているつもりでも、そこで動機が露呈しているというのです。談道篇にあった動機の四段のうち、最上の自然に当たるのがこの五字です。入門の心構えに最上を置くという、逆算式の設計になっています。入門の心構えに最上を置くという、逆算式の設計です。
この章句が説くこと
動機無所為会話毀誉根源
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