呻吟語 / 内篇・問學・昏弱の二字は立身の大業障
昏弱二字是立身大業障,去此二字不得,做不出一分好人。
書き下し
昏弱の二字は是れ身を立つるの大業障なり。此の二字を去り得ざれば、一分の好人をも做し出だせず。
現代語訳
暗さと弱さの二字は、身を立てる上での大きな障りです。この二字を取り除けなければ、一分の善い人にもなれません。
解説
修身篇にも出てきた昏と弱の二字を、ここでは業障、つまり修行を妨げる障りと呼びます。しかも取り除けなければ一分の善人にもなれないと、最低線まで否定する強い言い方です。能力や環境ではなく、この二つが全部を止めている。診断を単純に絞り込むことで、手をつける場所をはっきりさせた一段になっています。能力や環境ではなく、この二つが全部を止めているのです。
この章句が説くこと
昏弱障り診断立身
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