呻吟語 / 内篇・修身・本分の內は纖微を欠かず
兒輩問立身之道。曰:「本分之內,不欠纖微;本分之外,不加毫末。今也本分弗圖,而加於本分之外者,不啻千萬矣。
新字:児輩問立身之道。曰:「本分之内,不欠繊微;本分之外,不加毫末。今也本分弗図,而加於本分之外者,不啻千万矣。
書き下し
兒輩身を立つるの道を問ふ。曰く、「本分の內は、纖微を欠かず。本分の外は、毫末を加へず。今や本分を圖らずして、本分の外に加ふる者は、啻に千萬のみならず」と。
現代語訳
子どもたちが身の立て方を尋ねました。答えて言う。自分の本分の内側は、ほんのわずかも欠かさない。本分の外側は、毛の先ほども加えない。ところが今は、本分を果たそうともせず、本分の外に付け足している者が千万どころではありません。
解説
身の立て方を、二つの方向の管理として答えます。内側は欠かさない、外側は加えない。ごく単純ですが、両方を同時に守るのは難しい。そして現実を見れば、内側を空けたまま外側ばかり増やしている人が大半だと嘆きます。子どもの問いに答える形なので言葉が簡潔で、覚えやすい教えになっています。内側を空けたまま外側を増やす人が大半だという嘆きが、後半に置かれています。
この章句が説くこと
本分内外欠かさない加えない立身
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