呻吟語 / 内篇・問學・精ならざれば孟浪の守と為る
聖人以見義不為屬無勇,世儒以知而不行屬無知。聖人體道有三達德,曰:智、仁、勇。世儒曰知行。只是一個不知,誰說得是?愚謂自道統初開,工夫就是兩項,曰惟精察之也, 曰惟一守之也。千聖授受,惟此一道。蓋不精則為孟浪之守,不一則為想象之知。曰思,曰學,曰致知,曰力行,曰至明,曰至健,曰問察,曰用中,曰擇乎中庸、服膺勿失,曰非知之艱、惟行之艱,曰非苟知之、亦允蹈之,曰知及之、仁守之,曰不明乎善、不誠乎身。
新字:聖人以見義不為属無勇,世儒以知而不行属無知。聖人体道有三達徳,曰:智、仁、勇。世儒曰知行。只是一個不知,誰説得是?愚謂自道統初開,工夫就是両項,曰惟精察之也, 曰惟一守之也。千聖授受,惟此一道。蓋不精則為孟浪之守,不一則為想象之知。曰思,曰学,曰致知,曰力行,曰至明,曰至健,曰問察,曰用中,曰択乎中庸、服膺勿失,曰非知之艱、惟行之艱,曰非苟知之、亦允蹈之,曰知及之、仁守之,曰不明乎善、不誠乎身。
書き下し
聖人は義を見て為さざるを勇無きに屬し、世儒は知りて行はざるを知無きに屬す。聖人は道を體するに三達德有り、曰く智・仁・勇なり。世儒は曰く知行と。只だ是れ一個の知らざるなり。誰か說き得て是ならん。愚謂へらく、道統初めて開くより、工夫は就ち是れ兩項なり。曰く惟だ精のみ之を察するなり、曰く惟だ一のみ之を守るなり。千聖の授受は、惟だ此の一道なり。蓋し精ならざれば則ち孟浪の守と為り、一ならざれば則ち想象の知と為る。
現代語訳
聖人はなすべきを見てしないことを勇の無さに帰し、世の儒者は知っていて行わないことを知の無さに帰します。聖人は道を体するのに三つの通ずる徳があるとし、智と仁と勇を挙げます。世の儒者は知と行だと言い、それも結局は知らないだけのことだとします。どちらが正しいと言えるでしょうか。私が思うに、道統が開かれた初めから、工夫は二項でした。ただ精しく察すること、ただ一つに守ることです。千人の聖人が伝え合ったのは、この一つの道だけです。精しくなければ出まかせの守りになり、一つでなければ想像の知になります。
解説
この章句が説くこと
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