呻吟語 / 内篇・修身・三達德は知を恃まず
自心得者,尚不能必其身體力行,自耳目入者,欲其勉從而強改焉,萬萬其難矣。故三達德不恃知也,而又欲其仁;不恃仁也,而又欲其勇。
新字:自心得者,尚不能必其身体力行,自耳目入者,欲其勉従而強改焉,万万其難矣。故三達徳不恃知也,而又欲其仁;不恃仁也,而又欲其勇。
書き下し
心より得る者すら、尚ほ其の身體力行するを必する能はず。耳目より入る者は、其の勉め從ひて強ひて改めんことを欲するは、萬萬其れ難し。故に三達德は知を恃まざるなり。而して又た其の仁ならんことを欲す。仁を恃まざるなり。而して又た其の勇ならんことを欲す。
現代語訳
自分の心から得たものでさえ、身をもって行うとは限りません。耳や目から入っただけのものを、努めて従い無理に改めさせようとするのは、はるかに難しいことです。だから三つの通ずる徳は、知だけを頼みにしません。その上で仁であることを求めます。仁だけを頼みにもしません。その上で勇であることを求めます。
解説
中庸の知仁勇を、なぜ三つ必要なのかという問いから説明します。心から得た知識でさえ実行に至らないのだから、知だけでは足りない。そこで仁が加わり、それでも足りないので勇が加わる。三つが並んでいる理由を、実行できない現実から逆算した形です。徳目の暗記ではなく、必要に迫られた構成として読めるようになっています。
この章句が説くこと
知仁勇実行三達徳不足構成
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