呂氏春秋 / 達鬱⑤
趙簡子曰:「厥也愛我,鐸也不愛我。厥之諫我也,必於無人之所;鐸之諫我也,喜質我於人中,必使我醜。」尹鐸對曰:「厥也愛君之醜也,而不愛君之過也;鐸也愛君之過也,而不愛君之醜也。臣嘗聞相人於師,敦顏而土色者忍醜。不質君於人中,恐君之不變也。」此簡子之賢也。人主賢則人臣之言刻。簡子不賢,鐸也卒不居趙地,有況乎在簡子之側哉?
新字:趙簡子曰:「厥也愛我,鐸也不愛我。厥之諫我也,必於無人之所;鐸之諫我也,喜質我於人中,必使我醜。」尹鐸対曰:「厥也愛君之醜也,而不愛君之過也;鐸也愛君之過也,而不愛君之醜也。臣嘗聞相人於師,敦顔而土色者忍醜。不質君於人中,恐君之不変也。」此簡子之賢也。人主賢則人臣之言刻。簡子不賢,鐸也卒不居趙地,有況乎在簡子之側哉?
書き下し
趙簡子曰く、「厥や我を愛し、鐸や我を愛せず。厥の我を諫むるや、必ず人無きの所に於いてす。鐸の我を諫むるや、喜んで我を人中に質し、必ず我をして醜ぢしむ。」尹鐸對えて曰く、「厥や君の醜ぢを愛しみて、君の過ちを愛しまざるなり。鐸や君の過ちを愛しみて、君の醜を愛しまざるなり。臣嘗て人を相ることを師に聞くに、敦顏にして土色なる者は醜を忍ぶ、と。君を人中に質さずんば、君の變ぜざらんことを恐るるなり。」此れ簡子の賢なり。人主賢なれば則ち人臣の言刻なり。簡子賢ならずんば、鐸や卒に趙の地に居らじ。有た況んや簡子の側に在るに乎てをや。
現代語訳
趙簡子が言った、「厥(けつ)は私を愛し、鐸(たく)は私を愛していない。厥が私を諫めるときは、必ず人のいない所でする。鐸が私を諫めるときは、好んで人中で私を問いただし、必ず私に恥をかかせる」。尹鐸は答えた、「厥は君の恥を惜しんで、君の過ちを惜しみません。鐸は君の過ちを惜しんで、君の恥を惜しまないのです。私はかつて人相を師に学びましたが、顔が厚く土色(黄色)の者は恥を忍ぶといいます。君を人中で問いただすのは、君が改められないことを恐れるからです」。これは簡子の賢さである。君主が賢ければ臣下の言葉は切実になる。簡子が賢くなければ、鐸はついに趙の地にとどまらなかっただろう。まして簡子のそばにいられようか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・問學・無過の過は大なり余に責善の友有り。既に別れて兩月なり。見て之に問ひて曰く、「近ごろ僕に過ち有るを聞かざるか」と。友曰く、「子に過ち無し」と。余曰く、「此れ吾の大過なり。過ち有るの過ちは小さく、過ち無きの過ちは大なり。何となれば、諫を拒み自ら矜りて人敢へて言はず、非を飾り惡を掩ひて人知る能はず。過ちの此より大なる者有らんや。余をして即ち聖人ならしめば、則ち可なり。余は聖人に非ず。而るに人無過と謂ふ。余は其れ大過なるかな」と。
-
『十善法語』巻第五・不綺語戒十善ノ縄墨ヲ以テ看レハ。此ハ宗周盛徳ノ一事ト云ヘシ。忠臣ノ幼主ニ事フル。カク有ヘク。明君ノ諫ヲ用フル。カク有ヘキシヤ。凡徳ヒトリ立セズ。輔助有テ成立スルシヤ。事自ラ成セス。縁助有テ成立スルシヤ。幼シテ邪僻ナラス。長シテ華奢ナラヌ。父母師傅ノ教導ソノ功少カラヌシヤ。唯国ニ直臣得難ク。家ニ良佐得難ク。賢聖トイヘトモ過モ有マシキモノテナイ。直言ヲ聞テ自ラ過ヲ知ヘク。過ヲ知テ改ルカ聖賢ノ志シヤ。
-
『慎思録』巻之六人の凶徳は、諫を拒むより大なるは無し。家と身とを保つこと能はざる所以なり。蓋し剛愎なる者は諫を受けず、性偏にして忿慾多く、且つ識暗くして義理と利害とに暁らかならず。諫を拒みて納れざる所以なり。君を諫むるの難きや、強敵に赴くに過ぐ。何となれば則ち強敵に赴く者は、其の勢奮発勇猛の気有り。幸ひにして死を免るる者有らば、則ち亦名誉を得て、却つて重賞有り。君を諫むる者は、其の勢畏怖慴伏せざること能はず。幸ひにして死を免るる者も、亦重譴に遇ひて、後の禍測り難し。故に臣たる者は、忠誠剛直なりと雖も、其の拒まるるを知りて、或は敢へて諫めず。諫諍に難き所以なり。人主、性偏にして忿慾多しと雖も、苟も聡明の資有らば、則ち其の人を害し己を害するを知る。故に能く諫を納れて怒らず。是れ亦其の人を得難し。如し諫を拒む人、顔色和らがざれば、則ち其の父兄君主と雖も、亦其の子弟臣僕の過失を責むること易からず。況んや君主を諫むるに於いてをや。是れ庸人の過ちを聞くこと能はずして遂に非を遂ぐる所以なり。
-
孟子・公孫丑章句下燕人畔く。王曰く、「吾甚だ孟子に慚づ。」陳賈曰く、「王患ふること無かれ。王自ら以て周公と孰れか仁且つ智なりと為す。」王曰く、「悪、是れ何の言ぞや。」曰く、「周公管叔をして殷を監せしめ、管叔殷を以て畔く。知りて之を使ふは、是れ不仁なり。
-
『晏子春秋』外篇上・晏子使高糾治家三年而未嘗弼過逐之晏子高糾をして家を治めしむ。三年にして焉を辞す。儐者諫めて曰く、「高糾の夫子に事うること三年、曾て爵禄を以てせずして之を逐う。敢えて其の罪を請う」と。晏子曰く、「夫の方に立つの人の若きは、維れ聖人のみ。嬰の如き者は、仄陋の人なり。夫の嬰を左にし嬰を右にするの人の若きは、四維を挙げざれば、四維将に正しからざらんとす。今此の子吾に事うること三年、未だ嘗て吾が過ちを弼けず。吾是を以て之を辞す」と。
-
『慎思録』巻之一人の性は多く偏る。聖人に非ざるよりは、免れ難き所なり。性の偏る処は、乃ち過ちの生ずる所なり。故に賢者と雖も、過ち無きこと能はず。苟も自ら修省すること能はざれば、則ち其の言行の過たざる者寡し。且つ衆人の心は、多く壅蔽して偏狭なり。故に学者は多く見多く聞き、問ふことを好み人に取り、過ちを聞きて諫めを納るるを貴ぶ。徒らに己が見を執りて自ら是とするを貴ばず。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る