呻吟語 / 内篇・問學・天を格し物を動かす處
天是我底天,物是我底物。至誠所通,無不感格,而乃與之扞隔抵牾,只是自修之功未至。自修到格天動物處,方是學問,方是工夫。未至於此者,自愧自責不暇,豈可又萌出個怨尤底意思?
新字:天是我底天,物是我底物。至誠所通,無不感格,而乃与之扞隔抵牾,只是自修之功未至。自修到格天動物処,方是学問,方是工夫。未至於此者,自愧自責不暇,豈可又萌出個怨尤底意思?
書き下し
天は是れ我が底の天、物は是れ我が底の物なり。至誠の通ずる所、感格せざる無し。而るに乃ち之と扞隔抵牾するは、只だ是れ自ら修むるの功未だ至らざるなり。自ら修めて天を格し物を動かす處に到る、方に是れ學問、方に是れ工夫なり。此に至らざる者は、自ら愧ぢ自ら責むるに暇あらず。豈に又た個の怨尤底の意思を萌し出だす可けんや。
現代語訳
天は自分の天であり、物は自分の物です。この上ない誠が通ずるところ、感じ通じないものはありません。それなのに天や物と食い違い逆らい合うのは、ただ自分を修める功がまだ届いていないからです。自分を修めて、天を動かし物を動かすところまで至って、初めて学問であり工夫です。そこに至らない者は、自ら恥じ自ら責めるだけで手一杯です。どうして怨みや咎めの思いを芽生えさせられるでしょうか。
解説
外の世界と食い違うのは、自分の修養が足りないからだという立場です。厳しい見方ですが、そこから怨む余裕が消えるという結論に運ばれます。自責で手一杯なら、他を怨む時間が無いというのは、修身篇にも出てきた論法です。学問の到達点を、天を動かし物を動かすところに置いているのも、この一段の大きさを示しています。
この章句が説くこと
至誠感格自責怨み到達
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