呻吟語 / 内篇・問學・學識は須らく三代以上より來たるべし
今人不如古人,只是無學無識。學識須從三代以上來,才正大,才中平。今只將秦漢以來見識抵死與人爭是非,已自可笑,況將眼前聞見、自己聰明,翹然不肯下人,尤可笑也。
新字:今人不如古人,只是無学無識。学識須従三代以上来,才正大,才中平。今只将秦漢以来見識抵死与人争是非,已自可笑,況将眼前聞見、自己聰明,翹然不肯下人,尤可笑也。
書き下し
今人の古人に如かざるは、只だ是れ學無く識無きなり。學識は須らく三代以上より來たるべし。才かに正大、才かに中平なり。今只だ秦漢以來の見識を將て、死に抵るまで人と是非を爭ふは、已に自ら笑ふ可し。況んや眼前の聞見、自己の聰明を將て、翹然として人に下るを肯んぜざるは、尤も笑ふ可きなり。
現代語訳
今の人が昔の人に及ばないのは、ただ学が無く識が無いからです。学と識は夏殷周より前から取ってこそ、初めて堂々と正しく、偏りなく平らかになります。今、秦漢以後の見識だけを持ち出して、死ぬまで人と是非を争っているのは、それだけでも笑うべきことです。まして目先の見聞と自分の頭の良さだけで、高ぶって人に下ろうとしないのは、いっそう笑うべきことです。
解説
見識の取り出し元を、どこまで遡るかで測ります。秦漢以後では足りず、三代より前まで遡れ、と。時代を遡るほど偏りが取れるという見方です。そして三段階で笑うべき者を並べます。秦漢以後で争う者、目先の見聞で高ぶる者。自分の聡明さだけを頼る者が最も笑うべきだとされ、視野の狭さが順に測られています。視野の狭さが、三段階で順に測られている一段です。
この章句が説くこと
学識三代視野時代驕り
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