呻吟語 / 外篇・品藻・是古非今
漢以來儒者一件大病痛,只是是古非今。今人見識作為不如古人,此其大都。至於風會所宜,勢極所變,禮義所起,自有今人精於古人處。二帝者,夏之古也。夏者,殷之古也。殷者,周之古也。其實制度文為三代不相祖述,而達者皆以為是。
新字:漢以来儒者一件大病痛,只是是古非今。今人見識作為不如古人,此其大都。至於風会所宜,勢極所変,礼義所起,自有今人精於古人処。二帝者,夏之古也。夏者,殷之古也。殷者,周之古也。其実制度文為三代不相祖述,而達者皆以為是。
書き下し
漢以來儒者の一件の大病痛は、只だ是れ古を是とし今を非とするなり。今人の見識作為の古人に如かざるは、此れ其の大都なり。風會の宜しき所、勢極の變ずる所、禮義の起こる所に至りては、自ら今人の古人より精しき處有り。二帝は、夏の古なり。夏は、殷の古なり。殷は、周の古なり。其の實制度文為は三代相ひ祖述せず。而して達者は皆な以て是と為す。
現代語訳
漢より後の儒者の大きな病は、ただ古いものを是とし今を非とすることです。今の人の見識や振る舞いが古人に及ばないのは、おおよその話です。しかし時代の風がふさわしいところ、勢いが極まって変わるところ、礼義が起こるところについては、今の人のほうが古人より精しいところがあります。二帝は夏にとっての古です。夏は殷にとっての古です。殷は周にとっての古です。しかし実際には制度も文物も、三代は互いに踏襲していません。それでも道に通じた者はみなそれでよしとしました。
解説
復古主義を、三代自身が踏襲していないという事実で崩します。夏も殷も周も、前の時代を真似ていない。それでも達者はよしとした、と。そして時代の変化については今のほうが精しい場合があるとします。古を尊びながら復古を退けるという、この書の歴史観がはっきり示された一段です。古を尊びながら復古を退けるという、際どい立場です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
復古三代変化制度歴史観
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