呻吟語 / 内篇・問學・古人輕易に笑ふ可からず
涵養不定底,自初生至蓋棺時凡幾變?即知識已到,尚保不定畢竟作何種人,所以學者要德性堅定。到堅定時,隨常變、窮達、生死只一般;即有難料理處,亦自無難。若乎日不遇事時,盡算好人,一遇個小小題目,便考出本態,假遇著難者、大者,知成個甚麼人?所以古人不可輕易笑,恐我當此未便在渠上也。
新字:涵養不定底,自初生至蓋棺時凡幾変?即知識已到,尚保不定畢竟作何種人,所以学者要徳性堅定。到堅定時,随常変、窮達、生死只一般;即有難料理処,亦自無難。若乎日不遇事時,尽算好人,一遇個小小題目,便考出本態,仮遇著難者、大者,知成個甚麼人?所以古人不可軽易笑,恐我当此未便在渠上也。
書き下し
涵養定まらざる底は、初生より蓋棺の時に至るまで凡そ幾たびか變ず。即ち知識已に到るも、尚ほ保ち定めず、畢竟何種の人と作るか。所以に學者は德性堅定なるを要す。堅定の時に到れば、常變・窮達・生死に隨ひても只だ一般なり。若し平日事に遇はざる時は、盡く好人と算ふ。一たび個の小小の題目に遇へば、便ち本態を考へ出だす。假に難き者、大なる者に遇著せば、知らず個の甚麼の人をか成さん。所以に古人を輕易に笑ふ可からず。恐らくは我此に當たれば未だ便ち渠が上に在らざらん。
現代語訳
養いが定まらない者は、生まれてから棺の蓋を閉じるまで何度変わるでしょうか。知識がすでに行き届いていても、なお保てず、結局どんな人になるか分かりません。だから学ぶ者は徳性が堅く定まることを求めます。堅く定まれば、常と変、窮と達、生と死に応じても同じ一つです。もし日ごろ事に遭わない時なら、誰もが善い人と数えられます。ひとたび小さな題目に遭えば、もとの姿が出てきます。仮に難しい事、大きな事に遭ったら、どんな人になるか分かりません。だから昔の人を軽々しく笑ってはいけません。おそらく自分がその場に立てば、その人より上ではないでしょう。
解説
歴史上の失敗を笑う態度を、最後の一句で封じます。自分がその場に立てば同じかそれ以下かもしれない、と。前半では、事に遭わなければ誰でも善人に見えると述べ、判定は事に遭った時にしかできないとします。だから未経験の自分が経験者を笑う資格は無い。歴史を読むときの姿勢として、今も通用する一段です。歴史を読むときの姿勢として、今も通用する一段です。
この章句が説くこと
徳性変化判定歴史謙虚
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