呻吟語 / 内篇・問學・九地の下に栽ゑ、九天の上に插す
塞乎天地之間,盡是浩然了。愚謂根荄須栽入九地之下,枝梢須插入九天之上,橫拓須透過八荒之外,才是個圓滿工夫,無量學問。
新字:塞乎天地之間,尽是浩然了。愚謂根荄須栽入九地之下,枝梢須挿入九天之上,横拓須透過八荒之外,才是個円満工夫,無量学問。
書き下し
天地の間に塞がれば、盡く浩然たり。愚謂へらく、根荄は須らく九地の下に栽ゑ入るべく、枝梢は須らく九天の上に插し入るべく、橫拓は須らく八荒の外を透過すべし。才かに是れ個の圓滿の工夫、無量の學問なり。
現代語訳
天地のあいだに満ちれば、すべて浩然の気です。私が思うに、根は地の底の底まで植え入れ、枝先は天の上の上まで挿し入れ、横への広がりは八方の果ての外まで突き抜ける。そこでようやく円満な工夫であり、量り知れない学問です。
解説
孟子の浩然の気を、一本の樹木として描き直します。根は地の底へ、枝は天の上へ、広がりは世界の果てへ。縦と横の三方向に極限まで伸びた姿が、学問の完成形とされています。抽象的な気の概念を、誰にでも思い浮かべられる形に翻訳した一段で、目指す像がはっきり見える書き方になっています。抽象的な気の概念を、誰にでも思い浮かぶ形に翻訳しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
浩然根枝広がり完成
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