呻吟語 / 内篇・問學・堯舜の事功、孔孟の學術
「堯、舜事功,孔、孟學術。」此八字是君子終身急務。或問:「堯、舜事功,孔、孟學術,何處下手?」曰:「以天地萬物為一體,此是孔、孟學術;使天下萬物各得其所,此是堯、舜事功。總來是一個念頭。」
新字:「堯、舜事功,孔、孟学術。」此八字是君子終身急務。或問:「堯、舜事功,孔、孟学術,何処下手?」曰:「以天地万物為一体,此是孔、孟学術;使天下万物各得其所,此是堯、舜事功。総来是一個念頭。」
書き下し
「堯・舜の事功、孔・孟の學術」、此の八字は君子終身の急務なり。或るひと問ふ、「堯・舜の事功、孔・孟の學術は、何處にか手を下さん」と。曰く、「天地萬物を以て一體と為す、此れは是れ孔・孟の學術なり。天下萬物をして各おの其の所を得しむ、此れは是れ堯・舜の事功なり。總べ來たれば是れ一個の念頭なり」と。
現代語訳
堯舜の事業と、孔孟の学問。この八字が君子の生涯にわたる急務です。ある人が問いました。堯舜の事業、孔孟の学問は、どこから手をつければよいのですか。答えて言う。天地万物を一つの体とすること、これが孔孟の学問です。天下の万物にそれぞれの居場所を得させること、これが堯舜の事業です。まとめてしまえば、一つの心の動きです。
解説
学問と事業という二つの目標を掲げ、それぞれの中身を一句で示します。万物を一体と見るのが学問、万物に居場所を与えるのが事業。そして最後に、この二つは一つの心の動きだと言い切ります。見方と行いが同じ根から出ているということです。壮大な目標を、入口一つに縮めて見せた一段になっています。壮大な目標を、入口一つに縮めて見せた一段になっています。
この章句が説くこと
事功学術一体居場所一致
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