呻吟語 / 内篇・修身・天理人心合はば甚麼の好事か成らざらん
只人情世故熟了,甚麼大官做不到?只天理人心合了,甚麼好事做不成?
書き下し
只だ人情世故熟せば、甚麼の大官か做し到らざらん。只だ天理人心合はば、甚麼の好事か做し成らざらん。
現代語訳
人情と世間の機微に通じさえすれば、どんな高い官にも上れます。天の理と人の心が合いさえすれば、どんな良い事も成し遂げられます。
解説
二つの道を並べて置きます。出世の道は人情と世故、良い事を成す道は天理と人心。どちらも実現可能だと言っており、どちらが上とも書いていません。しかし並べられた瞬間に、自分がどちらを習熟しようとしているかが問われます。前に出てきた、大官を做すのと好人を做すのは別の家数だという段と同じ構えです。どちらが上とも書かず、並べることで選択を迫っています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
出世世故天理人心選択
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