呻吟語 / 内篇・修身・一毫の矯強も便ち是ならず
順其自然,只有一毫矯強,便不是;得其本有,只有一毫增益,便不是。
書き下し
其の自然に順ふに、只だ一毫の矯強有らば、便ち是ならず。其の本有を得るに、只だ一毫の增益有らば、便ち是ならず。
現代語訳
自然に従うとき、毛ほどでも無理に作るところがあれば、それはもう違います。もともと有るものを得るとき、毛ほどでも付け足すところがあれば、それはもう違います。
解説
自然と本来という二つについて、どちらも毛ほどの混ぜ物も許さないと言います。無理に作った自然はもう自然ではなく、付け足した本来はもう本来ではないからです。基準がこれ以上ないほど厳しいのは、混ぜてよい量を許せば際限が無いからでしょう。前に出てきた、一分寄りかかれば一分の偏りという言い方と同じ厳密さです。
この章句が説くこと
自然本来作為付加厳密
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