呻吟語 / 内篇・談道・勉然し做し到る底
自然者,發之不可遏,禁之不能止,才說是當然,便沒氣力。然反之之聖,都在當然上做工夫,所以說勉然。勉然做到底,知之成功,雖一分數境界,到那難題試驗處,終是微有不同,此難以形跡語也。
新字:自然者,発之不可遏,禁之不能止,才説是当然,便没気力。然反之之聖,都在当然上做工夫,所以説勉然。勉然做到底,知之成功,雖一分数境界,到那難題試験処,終是微有不同,此難以形跡語也。
書き下し
自然なる者は、之を發すれば遏む可からず、之を禁ずれば止む能はず。才かに是れ當然と說けば、便ち氣力沒し。然れども反之の聖は、都て當然の上に工夫を做す、所以に勉然と說く。勉然し做し到る底と、知の成功とは、一分數の境界なりと雖も、那の難題試驗の處に到れば、終に是れ微かに同じからざる有り。此れ形跡を以て語り難きなり。
現代語訳
自然なものは、起これば止められず、禁じても止まりません。これは当然だ、と言った途端に、力が抜けてしまいます。しかし本性に立ち返るたぐいの聖人は、みな当然の上で工夫をします。だから努めてそうする、と言うのです。努めてやり遂げたものと、生まれつき知って成し遂げたものとは、一段の違いにすぎませんが、難しい試練の場に至ると、やはりわずかに違いがあります。これは形に表して語りにくいことです。
解説
自然と当然の違いが扱われます。自然なものは止められない勢いがあるが、当然だと言った途端に力が抜ける。義務になると熱が下がるという実感です。そのうえで、努力型の聖人は当然の上で工夫すると認められます。そして最後が正直です。努力と生まれつきの差はわずかだが、難しい試練の場では出る。形に表して語りにくい、と留保が付きます。
この章句が説くこと
自然当然勉然試練差
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