呻吟語 / 内篇・修身・覺らざれば知ると算へ得ず
知覺二字,奚翹天淵。致了知才覺,覺了才算知,不覺算不得知。而今說瘡痛,人人都知,惟病瘡者謂之覺。今人為善去惡不成,只是不覺,覺後便由不得不為善不去惡。
新字:知覚二字,奚翹天淵。致了知才覚,覚了才算知,不覚算不得知。而今説瘡痛,人人都知,惟病瘡者謂之覚。今人為善去悪不成,只是不覚,覚後便由不得不為善不去悪。
書き下し
知覺の二字は、奚ぞ天淵に翹らんや。知を致して才かに覺り、覺りて才かに知ると算ふ。覺らざれば知ると算へ得ず。而今瘡の痛みを說くに、人人都て知る。惟だ瘡を病む者のみ之を覺ると謂ふ。今人善を為し惡を去りて成らざるは、只だ是れ覺らざればなり。覺りて後は便ち善を為さず惡を去らざるに由るを得ず。
現代語訳
知と覚の二字は、天と淵ほども隔たっています。知を極めて初めて覚り、覚って初めて知ったと数えられます。覚っていなければ知ったとは数えられません。今、腫れ物の痛みと言えば誰でも知っています。しかし腫れ物を患っている者だけが、それを覚っていると言います。今の人が善をなし悪を去ることができないのは、ただ覚っていないからです。覚った後は、善をなさず悪を去らずにいられなくなります。
解説
知ることと覚ることの差を、腫れ物の痛みで説明します。痛みという言葉は誰でも知っているが、実際に患っている者だけが覚っている。この差が実行の差になるというのです。知っているのにできないという悩みに、それは知っていないのだと答える。前に出てきた、本当に知れば行わないことはないという段の、最も具体的な説明になっています。
この章句が説くこと
知覚実感実行痛み体得
関連する章句
-
『後世への最大遺物』第二回・人に頼らず天と己にたよるその考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して、自分の身をことごとく人のために使った。旧幕の末路にあたって、経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。それでわれわれもそういう人の生涯、二宮金次郎先生のような人の生涯を見ますときに、「もしあの人にもああいうことができたならば、私にもできないことはない」という考えを起します。普通の考えではありますけれども、非常に価値のある考えであります。それで人に頼らずとも、われわれが神にたより己にたよって宇宙の法則に従えば、この世界はわれわれの望むとおりになり、この世界にわが考えを行うことができるという感覚が起ってくる。
-
『後世への最大遺物』第二回・己の信ずることを実行する者己の信ずることを実行するものが真面目なる信者です。ただただ壮言大語することは誰にもできます。いくら神学を研究しても、いくら哲学書を読みても、われわれの信じた主義を真面目に実行するところの精神がありませぬあいだは、神はわれわれにとって異邦人であります。それゆえに、われわれは神がわれわれに知らしたことをそのまま実行いたさなければなりません。こういたさねばならぬと思うたことは、われわれはことごとく実行しなければならない。もしわれわれが、正義はついに勝つものにして不義はついに負けるものであるということを世間に発表するものであるならば、そのとおりにわれわれは実行しなければならない。これを称して真面目なる信徒と申すのです。
-
論語・子罕篇子曰く、之に語げて惰らざる者は、其れ回なるか。
-
『正法眼蔵随聞記』巻三作すことの難きにはあらず、能くすることの難きなり、出離得道の行は人ごとに心にかけたるには似たれとも、能くする人まれなればなり、生死事大なり、無常迅速なり、心を緩くすることなかれ、世を捨ては実とに世を捨つべきなり、仮名はいかにてもありなんとおぼゆるなり、
-
論語・公冶長篇子路聞くこと有りて、未だ之を行うこと能わざれば、唯だ聞くこと有らんことを恐る。
-
『呻吟語』内篇・修身・義を見て為さず、之を眾に違ふに托す義を見て為さず、又た之を眾に違ふに托す。此れ力行する者の大戒なり。若し肯へて務實し、又た自ら名を逃れば、術無きを患へず。吾竊かに以て自ら恨む。