呻吟語 / 内篇・修身・悠悠蕩蕩として空軀殼と作す
吾人終日最不可悠悠蕩蕩作空軀殼。
書き下し
吾人終日最も悠悠蕩蕩として空軀殼と作す可からず。
現代語訳
我々は一日中、ぼんやりと漂って空っぽの殻になってはいけません。
解説
わずか十数字ですが、空っぽの殻という言葉が効いています。悪事をしているわけでも、怠けて咎められるわけでもなく、ただ中身の無いまま一日が過ぎる。修身篇に並ぶ戒めの多くが過ちについてであるのに対し、ここで問題にされているのは無であることです。何もしていないことが、それ自体で失敗になるという見方です。何もしていないことが、それ自体で失敗になるという見方です。
この章句が説くこと
空虚漫然一日中身無為
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