呻吟語 / 内篇・修身・天地の中和は甚だ難し
天地位,萬物育,幾千年有一會,幾百年有一會,幾十年有一會。故天地之中和甚難。
新字:天地位,万物育,幾千年有一会,幾百年有一会,幾十年有一会。故天地之中和甚難。
書き下し
天地位し、萬物育するは、幾千年にして一會有り、幾百年にして一會有り、幾十年にして一會有り。故に天地の中和は甚だ難し。
現代語訳
天地が位を得て万物が育つという出来事は、何千年に一度あり、何百年に一度あり、何十年に一度あります。だから天地の中和は実に難しいのです。
解説
中庸が理想として描く、天地が位を得て万物が育つ状態を、実際にはめったに起きない出来事として扱います。何千年、何百年、何十年に一度。理想の頻度を数えてみせることで、それがいかに難しいかを示す書き方です。理想を掲げるだけでなく、その稀少さを正直に言うところに、この書の現実感覚が表れています。理想の稀少さを正直に言うところに、現実感覚が出ています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
中和稀少理想頻度現実
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