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呻吟語 / 内篇・修身・外景と內景

手容恭,足容重,頭容直,口容止,坐如屍,立如齋,儼若思,目無狂視,耳無傾聽,此外景也。外景是整齊嚴肅,內景是齋莊中正,未有不整齊嚴肅而能齋莊中正者。故撿束五宮百體,只為收攝此心。此心若從容和順於禮法之中,則曲肱指掌、浴沂行歌、吟風弄月、隨柳傍花,何適不可?所謂登彼岸無所事筏也。

新字:手容恭,足容重,頭容直,口容止,坐如屍,立如斎,儼若思,目無狂視,耳無傾聴,此外景也。外景是整斉厳粛,内景是斎荘中正,未有不整斉厳粛而能斎荘中正者。故撿束五宮百体,只為収摂此心。此心若従容和順於礼法之中,則曲肱指掌、浴沂行歌、吟風弄月、随柳傍花,何適不可?所謂登彼岸無所事筏也。

書き下し

手容は恭、足容は重、頭容は直、口容は止、坐すること屍の如く、立つこと齋の如く、儼として思ふが若く、目に狂視無く、耳に傾聽無し。此れ外景なり。外景は是れ整齊嚴肅、內景は是れ齋莊中正なり。未だ整齊嚴肅ならずして能く齋莊中正なる者有らず。故に五官百體を撿束するは、只だ此の心を收攝する為なり。此の心若し禮法の中に從容和順ならば、則ち肱を曲げ掌を指し、沂に浴し行きて歌ひ、風を吟じ月を弄び、柳に隨ひ花に傍ふも、何ぞ適きて可ならざらん。

現代語訳

手つきは恭しく、足つきは重く、頭は直ぐに、口は静かに、座るときは屍のように、立つときは斎戒のように、厳かに思うように、目に狂った視線が無く、耳に傾け聞く癖が無い。これが外の景です。外の景は整い引き締まっていること、内の景は清く正しいこと。整い引き締まっていないのに、内が清く正しい者はいません。だから五官と全身を引き締めるのは、ただこの心を収めるためです。この心が礼法の中でゆったりと和らいでいれば、肘を枕にし掌を指し、沂水に浴して歌い、風を吟じ月を愛で、柳に沿い花のかたわらを歩いても、どこへ行っても差し支えありません。

解説

礼記の細かな容儀を並べたうえで、それを外の景と呼び、内の景との関係を示します。外が整わなければ内は正しくならない、と順序を断言する。しかも目的は心を収めることだと明かされ、形式は手段に位置づけられます。そして最後は解放で、心が礼法の中で和らげば、川で歌い花のそばを歩いてもよい。窮屈さの先にある自由を描いて終わります。

この章句が説くこと

容儀外景内景形式自由

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