呻吟語 / 内篇・修身・自家の何等にか簡逕なるを理會す
宋儒紛紛聚訟語且莫理會,只理會自家何等簡逕。
新字:宋儒紛紛聚訟語且莫理会,只理会自家何等簡逕。
書き下し
宋儒紛紛たる聚訟の語は且く理會する莫かれ。只だ自家の何等にか簡逕なるかを理會せよ。
現代語訳
宋の儒者たちの入り乱れた論争の言葉は、しばらく相手にしないでおきなさい。ただ自分にとって何が最も簡潔で近道かを、しっかり掴みなさい。
解説
学派の論争から距離を取れという一段です。議論を追うことに時間を使うより、自分にとっての簡潔な道を掴め、と。前に出てきた、人にはそれぞれ症状に合った一句があるという段と同じ主張で、万人向けの正解ではなく自分用の近道を探せということになります。学問の場にいる人ほど、この切り替えが難しいでしょう。学問の場にいる人ほど、この切り替えが難しいでしょう。
この章句が説くこと
論争簡潔近道自分学派
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