呻吟語 / 内篇・修身・千悔萬悔も分毫に補ふ無し
心不堅確,志不奮揚,力不勇猛,而欲徒義改過,雖千悔萬悔,競無補於分毫。
新字:心不堅確,志不奮揚,力不勇猛,而欲徒義改過,雖千悔万悔,競無補於分毫。
書き下し
心堅確ならず、志奮揚せず、力勇猛ならずして、徒だ義を改め過ちを改めんと欲せば、千悔萬悔すと雖も、競に分毫に補ふ無し。
現代語訳
心が固まらず、志が奮い立たず、力が勇ましくないまま、ただ改めようとだけ思うなら、千回万回悔やんでも、毛ほどの足しにもなりません。
解説
悔やむことと改まることを、はっきり切り離します。心の固さ、志の高まり、力の勇ましさ。この三つが揃わない限り、悔恨は何度繰り返しても無駄だというのです。反省の回数を重ねても変わらない経験に、正確な説明を与えた一段でしょう。足りないのは反省ではなく、その前に立てるべき三つだということになります。足りないのは反省ではなく、その前に立てるべき三つです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
悔恨改過心志力
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『慎思録』巻之一子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。蓋し聖人を学ばんと欲する者は、須らく従容和楽を要すべし。是れ儒者平日の気象、宜しく此くの如くなるべし。心体は本隠微にして、未だ形迹に著れざれば、則ち執持すべからず。志は是れ心の之く所、気は体の充なり。人心の動静、気に資らざること無し。若し其の気を暴へば、則ち志も亦持し難くして、心体も亦之が為に動く。故に曰く、其の志を持して、其の気を暴ふこと勿かれと。此れ気を養ふの工夫にして、乃ち志を持し心を存するの道なり。蓋し心を養ふを以て主意と為し、気を和らぐるを以て工夫と為す。故に心を養ふの道は、気を養ふに在り。気を養ふの方は、和平にして暴ふこと無きを以て勤めと為す。此れ日用常行の緊要にして、学者の急務為り。然り而して後の学者、之を以て緊要と為すことを知らず。故に此の工夫を為す者極めて鮮し。今の学者、平日の気象言貌、都て是れ其の気を暴ふの事なり。且つ其の人に接するや、一言旨に忤ひ、一事合はざれば、則ち睚眦して怒りを発し、厲気払戻す。凡そ言行、気を使ふを以て尚しと為す者は、儒者の気象と為すべからず。明道の人に接するや、一団の和気、春風の中に坐せるが如し。是れ其の気を暴ふこと無きの至りなり。大賢の気象は、学者の当に則と為すべき所なり。
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