呻吟語 / 内篇・修身・先づ古人が是れ個の甚麼の人かを看る
要非人,先要認的自家是個甚麼人;要認的自家,先看古人是個甚麼人。
書き下し
人を非とせんと要せば、先づ自家が是れ個の甚麼の人かを認め的たるを要す。自家を認め的たらんと要せば、先づ古人が是れ個の甚麼の人かを看よ。
現代語訳
人を非難しようとするなら、まず自分がどんな人間かをはっきり分かっている必要があります。自分をはっきり分かろうとするなら、まず昔の人がどんな人間だったかを見ることです。
解説
人を批評する前に二つの段を踏めと言います。自分を知ること、そのために古人を見ること。順序が三段になっているのが要点で、自分は自分を見ても分からないので、古人という物差しが要るのです。前に出てきた、友を鏡とせよという段と同じ構造で、こちらは時間を越えた鏡を持ち出しています。批評が滅多にできなくなる仕掛けです。
この章句が説くこと
批評自知古人物差し順序
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