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呻吟語 / 内篇・修身・榮辱は自ら樹つる所に在り

果是瑚璉,人不忍以盛腐殠;果是荼蓼,人不肯以薦宗祊;履也,人不肯以加諸首;冠也,人不忍以籍其足。物猶然,而況於人乎?榮辱在所自樹,無以致之,何由及之?此自修者所 當知也。

新字:果是瑚璉,人不忍以盛腐殠;果是荼蓼,人不肯以薦宗祊;履也,人不肯以加諸首;冠也,人不忍以籍其足。物猶然,而況於人乎?栄辱在所自樹,無以致之,何由及之?此自修者所 当知也。

書き下し

果たして是れ瑚璉ならば、人腐殠を盛るに忍びず。果たして是れ荼蓼ならば、人宗祊に薦むるを肯んぜず。履なれば、人諸を首に加ふるを肯んぜず。冠なれば、人其の足に籍くに忍びず。物すら猶ほ然り、而るに況んや人に於てをや。榮辱は自ら樹つる所に在り。以て之を致す無くんば、何に由りて之に及ばん。此れ自ら修むる者の當に知るべき所なり。

現代語訳

本当に祭器の瑚璉であれば、人は腐った物を盛ろうとしません。本当に苦い草であれば、人は宗廟に供えようとしません。履であれば、人はそれを頭に載せようとしません。冠であれば、人はそれを足に敷こうとしません。物でさえこうなのですから、まして人ならなおさらです。栄辱は自分が何を立てているかにあります。招く元が無ければ、どうしてそれが及ぶでしょうか。

解説

器や履や冠の扱われ方で、扱いは物の側が決めていると示します。瑚璉に腐り物は盛らず、履を頭に載せない。人も同じで、扱われ方は自分が何であるかで決まるという理屈です。前に出てきた、栄辱は立てているものに繋がるという段と同じ主張ですが、こちらは四つの具体物を並べるぶん、腑に落ちやすくなっています。扱われ方は、扱う側ではなく自分の側が決めているのです。

この章句が説くこと

栄辱扱い自立原因

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