呻吟語 / 内篇・修身・棺を蓋ひて愧づる餘り有り
士大夫一身,斯世之奉弘矣。不蠶織而文繡,不耕畜而膏梁,不僱貸而本馬,不商販而積蓄,此何以故也?乃於世分毫無補,慚負兩間。『人又以大官詫市井兒,蓋棺有餘愧矣。
新字:士大夫一身,斯世之奉弘矣。不蠶織而文繡,不耕畜而膏梁,不僱貸而本馬,不商販而積蓄,此何以故也?乃於世分毫無補,慚負両間。『人又以大官詫市井児,蓋棺有余愧矣。
書き下し
士大夫の一身は、斯の世の奉ずること弘し。蠶織せずして文繡し、耕畜せずして膏梁し、僱貸せずして本馬あり、商販せずして積蓄す。此れ何を以ての故ぞや。乃ち世に於て分毫も補ふ無くんば、兩間に慚負す。人又た大官を以て市井の兒に詫る。棺を蓋ひて愧づる餘り有らん。
現代語訳
士大夫一人の身に、この世が捧げるものは実に大きい。蚕も飼わず機も織らないのに刺繍の衣を着、耕しも牧畜もしないのに脂の乗った肉と上等の米を食べ、雇いも借りもしないのに馬を持ち、商いをしないのに蓄えがあります。これはどういうわけでしょうか。それでいて世に毛ほども足すものが無ければ、天地のあいだに恥じ負うことになります。その上で人はさらに、高官であることを町の者に自慢する。棺の蓋を閉じてもなお恥じ足りないでしょう。
解説
自分が受け取っているものを、一つずつ出どころから数え直します。織らないのに着ている、耕さないのに食べている、と。そのうえで世に足すものが無ければ天地に借りがあると言い、さらに高官であることを自慢する姿を重ねます。棺の蓋を閉じても恥じ足りない、という結びが強烈です。受け取りと働きの釣り合いを問う、修身篇の中でも厳しい一段です。
この章句が説くこと
受益働き恥士大夫釣り合い
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