呻吟語 / 内篇・修身・聰明にして愚なるは其の大智なり
愚者人笑之,聰明者人疑之。聰明而愚,其大智也。夫《詩》云:「靡哲不愚」,則知不愚非哲也。
書き下し
愚者は人之を笑ひ、聰明なる者は人之を疑ふ。聰明にして愚なるは、其の大智なり。夫れ《詩》に云ふ、「哲として愚ならざるは靡し」と。則ち愚ならざるは哲に非ざるを知る。
現代語訳
愚かな者は人に笑われ、聡明な者は人に疑われます。聡明でありながら愚かに見えるのが、大きな智恵です。詩経に、賢者で愚かに見えない者はいないとあります。とすれば、愚かに見えない者は賢者ではないと分かります。
解説
笑われることと疑われることを並べ、疑われるほうが厄介だと示します。だから聡明さを愚かさで覆えというのですが、後半で理屈が反転します。詩経の一句から、愚かに見えない者は賢者ではないと逆に読むのです。処世の知恵として始まった話が、賢さの定義そのものへ届く。短い中で二段に展開する構成が見事です。処世の知恵から、賢さの定義へと反転する構成です。
この章句が説くこと
聡明愚大智覆い詩経
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