呻吟語 / 内篇・修身・咳唾を玉と為し、便溺皆な香し
士君子澡心浴德,要使咳唾為玉,便溺皆香,才見工夫圓滿。若靈台中有一點污濁,便如瓜蒂藜蘆,入胃不嘔吐盡不止,豈可使一刻容留此中耶?夫如是,然後圂涵廁可沉,緇泥可入。
新字:士君子澡心浴徳,要使咳唾為玉,便溺皆香,才見工夫円満。若霊台中有一点污濁,便如瓜蒂藜蘆,入胃不嘔吐尽不止,豈可使一刻容留此中耶?夫如是,然後圂涵廁可沈,緇泥可入。
書き下し
士君子は心を澡ひ德に浴し、咳唾をして玉と為り、便溺皆な香ならしむるを要す。才かに工夫圓滿なるを見る。若し靈台の中に一點の污濁有らば、便ち瓜蒂藜蘆の如く、胃に入りて嘔吐し盡くさずんば止まず。豈に一刻も此の中に容留せしむ可けんや。
現代語訳
士君子は心を洗い徳に浴して、咳や唾が玉となり、排泄物さえ香るほどにしたい。そこでようやく工夫が円満だと見えます。もし心の台に一点の汚れがあれば、瓜の蔕や藜蘆のように、胃に入れば吐き尽くすまで止まりません。どうして一刻でもそれを中に留めておけるでしょうか。
解説
清めることの徹底を、極端な像で示します。咳や唾が玉となり、排泄物まで香る。冗談めいた誇張ですが、それだけ内側の清さが外に現れるという主張です。後半では逆に、一点の汚れが薬物のように嘔吐を引き起こすとします。清さも汚れも、体の反応として描かれているのが特徴で、観念ではなく生理の言葉で語られています。清さも汚れも、生理の言葉で語られているのが特徴です。
この章句が説くこと
清浄徹底汚れ心身体
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