荀子 / 大略篇
善學者盡其理,善行者究其難。
新字:善学者尽其理,善行者究其難。
書き下し
善く学ぶ者は其の理を尽くし、善く行ふ者は其の難きを究(きは)む。
現代語訳
よく学ぶ者は、その物事の筋道を最後まで突き詰める。よく行う者は、その最も難しいところを徹底して究める。
解説
わずか十数字ですが、学びと実践のそれぞれについて、どこまでやれば本物かを示した一段です。学ぶ側に求められるのは、理を尽くすこと。分かったつもりで止めず、筋道が最後までつながるまで追いかける、ということです。行う側に求められるのは、難きを究めること。やさしいところだけをこなして満足せず、いちばん骨の折れる部分に正面から取り組む、ということです。荀子はどちらについても、中途半端であることを認めません。私たちの仕事でも、資料は読んだが要点を人に説明できない、着手はしたが本当の難所は手つかず、ということがよく起こります。学ぶなら、腑に落ちるまで。行うなら、いちばん難しいところから。この二つを守るだけで、仕事の密度はまるで変わってきます。
この章句が説くこと
理を尽くす難所に取り組む徹底中途半端を避ける
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