呻吟語 / 内篇・修身・涵養・省察・克治
涵養如培脆萌,省察如搜田蠹,克治如去盤根。涵養如女子坐幽閨,省察如邏卒緝奸細,克治如將軍戰勍敵。涵養用勿忘勿助工夫,省察用無怠無荒工夫,克治用是絕是忽工夫。
新字:涵養如培脆萌,省察如捜田蠹,克治如去盤根。涵養如女子坐幽閨,省察如邏卒緝奸細,克治如将軍戦勍敵。涵養用勿忘勿助工夫,省察用無怠無荒工夫,克治用是絶是忽工夫。
書き下し
涵養は脆萌を培ふが如く、省察は田蠹を搜すが如く、克治は盤根を去るが如し。涵養は女子の幽閨に坐するが如く、省察は邏卒の奸細を緝ぶるが如く、克治は將軍の勍敵と戰ふが如し。涵養は勿忘勿助の工夫を用ひ、省察は無怠無荒の工夫を用ひ、克治は是絕是忽の工夫を用ふ。
現代語訳
涵養は柔らかい芽を育てるようであり、省察は田の害虫を探すようであり、克治は張った根を掘り取るようです。涵養は女子が奥の間に静かに座るようであり、省察は巡回の兵が間者を捕らえるようであり、克治は将軍が強敵と戦うようです。涵養には忘れず助けずの工夫を用い、省察には怠らず荒らさずの工夫を用い、克治には断ち切り捨て去る工夫を用います。
解説
修養の三工程に、三通りの比喩を三度ずつ重ねます。育てる、探す、掘り取る。静かに座る、間者を捕らえる、強敵と戦う。そして具体的な心得が一つずつ。同じ修養でも段階によって必要な構えが正反対になることが、九つの像で立体的に示されます。呻吟語でもよく引かれる、整理の行き届いた一段です。段階を取り違えれば、努力はそのまま空回りします。
この章句が説くこと
涵養省察克治段階比喩
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