呻吟語 / 内篇・修身・其の真を掩ふを惡む
磨磚砌壁不涂以堊,惡掩其真也。一堊則人謂糞土之牆矣。
新字:磨磚砌壁不涂以堊,悪掩其真也。一堊則人謂糞土之牆矣。
書き下し
磚を磨き壁を砌むに涂るに堊を以てせざるは、其の真を掩ふを惡めばなり。一たび堊すれば則ち人糞土の牆と謂はん。
現代語訳
磚を磨いて壁を積むとき白土を塗らないのは、本来の姿を覆い隠すのを嫌うからです。ひとたび白土を塗れば、人は糞土の壁だと言うでしょう。
解説
磨いた磚をそのまま積む壁と、白土を塗った壁を対比します。塗らないのは本来の質を見せるためで、塗った途端に中身が疑われる。覆いをかけること自体が、中身の粗さを告白してしまうという逆説です。論語の、糞土の壁は塗れないという一句を踏まえており、飾りが疑いを呼ぶという主題を建築の像で示した一段になっています。
この章句が説くこと
飾り素地覆い疑い真実
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