呻吟語 / 内篇・談道・文の真を掩ふに至るは、禮の賊なり
真器不修,修者偽物也;真情不飾,飾者偽交也。家人父子之間不讓而登堂,非簡也;不侑而飽食,非饕也,所謂真也。惟待讓而入,而後有讓亦不入者矣;惟待侑而飽,而後有侑亦不飽者矣,是兩修文也。廢文不可為禮,文至掩真,禮之賊也,君子不尚焉。
新字:真器不修,修者偽物也;真情不飾,飾者偽交也。家人父子之間不譲而登堂,非簡也;不侑而飽食,非饕也,所謂真也。惟待譲而入,而後有譲亦不入者矣;惟待侑而飽,而後有侑亦不飽者矣,是両修文也。廃文不可為礼,文至掩真,礼之賊也,君子不尚焉。
書き下し
真器は修めず、修むる者は偽物なり。真情は飾らず、飾る者は偽交なり。家人父子の間、讓らずして堂に登るは、簡に非ざるなり。侑めずして飽食するは、饕に非ざるなり。所謂真なり。惟だ讓るを待ちて入らば、而る後に讓る有るも亦た入らざる者有らん。惟だ侑むるを待ちて飽かば、而る後に侑むる有るも亦た飽かざる者有らん。是れ兩つながら文を修むるなり。文を廢すれば禮を為す可からず、文の真を掩ふに至るは、禮の賊なり。君子は尚ばざるなり。
現代語訳
本物の器は手を加えません。手を加えるものは偽物です。本当の情は飾りません。飾るものは偽りの交わりです。家族や父子のあいだで、譲られずに座敷に上がるのは無作法ではありません。勧められずに腹いっぱい食べるのは、がつがつしているのではありません。いわゆる真です。もし譲られるのを待ってから入るようになれば、その後は譲られても入らない者が出てきます。勧められるのを待ってから満腹するようになれば、その後は勧められても食べない者が出てきます。これはどちらも飾りを重ねているのです。飾りを捨てては礼になりませんが、飾りが真を覆うに至れば、礼の賊です。君子はそれを尊びません。
解説
家族のあいだの遠慮が検討されます。譲られずに上がり、勧められずに食べるのは、無作法ではなく真だ、と。そして遠慮を始めた後の展開が示されるのが鋭い。譲られるのを待つようになれば、次は譲られても入らなくなる。形式は必ず一段ずつ厚くなっていきます。飾りを捨てれば礼にならないが、飾りが真を覆えば礼の賊だ、という線引きで締められます。
この章句が説くこと
真飾遠慮形式礼賊
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