呻吟語 / 内篇・修身・無傷の二字は大戒なり
人之視小過也,愧作悔恨如犯大惡,夫然後能改。無傷二字,修己者之大戒也。
新字:人之視小過也,愧作悔恨如犯大悪,夫然後能改。無傷二字,修己者之大戒也。
書き下し
人の小過を視るや、愧作悔恨すること大惡を犯すが如くす。夫れ然る後に能く改む。「無傷」の二字は、己を修むる者の大戒なり。
現代語訳
人が小さな過ちを見るときは、大きな悪を犯したかのように恥じ、ばつが悪く思い、悔やむ。そうして初めて改められます。差し支えないという二文字は、身を修める者にとって大きな戒めです。
解説
小さな過ちを小さく扱わないことが、改める条件だと言います。そして最も危険な言葉として、差し支えないという二字を名指しします。この一言が出た瞬間に、改める道が閉じるからです。前に出てきた、近道が踏み開かれる話と同じ構図で、些細な逸脱をどう扱うかが分かれ目になるという主張が繰り返されています。小さく扱った過ちは、改まらないまま残り続けます。
この章句が説くこと
小過改める無傷油断戒め
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