呻吟語 / 内篇・修身・怠忽惰慢の四字
「恭敬謙謹」,此四字有心之善也;「狎侮傲凌」,此四字有心之惡也,人所易知也。至於「怠忽惰慢」,此四字乃無心之失耳。而丹書之戒,怠勝敬者凶,論治忽者,至分存亡;《大學》以傲惰同論;曾子以暴慢連語者,何哉?蓋天下之禍患皆起於四字,一身之罪過皆生於四字,怠則一切苟且,忽則一切昏忘,惰則一切疏懶,慢則一切延遲。以之應事則萬事皆廢,以之接人則眾心皆離。古人臨民如馭朽索,使人如承大祭,況接平交以上者乎?古人處事不泄邇,不忘遠,況目前之親切重大者乎?故曰「無眾寡,無大小,無敢慢」,此九字即「毋不敬」。「毋不敬」三字,非但聖狂之分,存亡治亂、死生禍福之關也,必然不易之理也。沉心精應者始真知之。
新字:「恭敬謙謹」,此四字有心之善也;「狎侮傲凌」,此四字有心之悪也,人所易知也。至於「怠忽惰慢」,此四字乃無心之失耳。而丹書之戒,怠勝敬者凶,論治忽者,至分存亡;《大学》以傲惰同論;曽子以暴慢連語者,何哉?蓋天下之禍患皆起於四字,一身之罪過皆生於四字,怠則一切苟且,忽則一切昏忘,惰則一切疏懶,慢則一切延遅。以之応事則万事皆廃,以之接人則眾心皆離。古人臨民如馭朽索,使人如承大祭,況接平交以上者乎?古人処事不泄邇,不忘遠,況目前之親切重大者乎?故曰「無眾寡,無大小,無敢慢」,此九字即「毋不敬」。「毋不敬」三字,非但聖狂之分,存亡治乱、死生禍福之関也,必然不易之理也。沈心精応者始真知之。
書き下し
「恭敬謙謹」、此の四字は有心の善なり。「狎侮傲凌」、此の四字は有心の惡なり、人の知り易き所なり。「怠忽惰慢」に至りては、此の四字は乃ち無心の失なるのみ。而るに丹書の戒に、怠の敬に勝つ者は凶とす。蓋し天下の禍患は皆な四字に起こり、一身の罪過は皆な四字に生ず。怠なれば則ち一切苟且、忽なれば則ち一切昏忘、惰なれば則ち一切疏懶、慢なれば則ち一切延遲なり。之を以て事に應ずれば則ち萬事皆な廢し、之を以て人に接すれば則ち眾心皆な離る。
現代語訳
恭しさ、敬い、謙り、慎み。この四字は意識してなす善です。馴れ馴れしさ、侮り、驕り、見下し。この四字は意識してなす悪で、人にも分かりやすいものです。しかし怠り、おろそか、無精、緩み。この四字は意識せずに起きる失です。それなのに丹書の戒めでは、怠が敬に勝てば凶だとします。天下の禍はみなこの四字から起こり、一身の罪過はみなこの四字から生じます。怠れば何もかも間に合わせになり、おろそかなら何もかも忘れ、無精なら何もかも放り出し、緩めば何もかも遅れます。これで事に当たれば万事が廃れ、人に接すれば人心はみな離れます。
解説
この章句が説くこと
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