呻吟語 / 内篇・修身・樂しみは那の苦しき處より來たる
苦處是正容謹節,樂處是手舞足蹈。這個樂又從那苦處來。
新字:苦処是正容謹節,楽処是手舞足蹈。這個楽又従那苦処来。
書き下し
苦しき處は是れ容を正し節を謹むなり。樂しき處は是れ手の舞ひ足の蹈むなり。這個の樂しみは又た那の苦しき處より來たる。
現代語訳
苦しいところは、姿勢を正し節度を慎むことです。楽しいところは、手が舞い足が踏み鳴らすことです。そしてこの楽しみは、あの苦しいところから生まれてくるのです。
解説
修養の苦と楽を対にして並べ、最後に因果でつなぎます。姿勢を正す窮屈さの先に、体が自然に動き出す喜びがある。窮屈さは通過点であって目的ではないという構図です。手が舞い足が踏むというのは孟子が徳の充実を描いた言葉で、抑えた先に解放があるという順序が示されています。苦を我慢として終わらせない一段です。窮屈さを目的にせず、通過点として置いた一段です。
この章句が説くこと
苦楽修養順序節度喜び
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