呻吟語 / 内篇・修身・貴公の門に走るを好まず
予不好走貴公之門,雖情義所關,每以無謂而止。或讓予曰:「奔走貴公,得不謂其喜乎?」或曰:「懼彼以不奔走為罪也。」
新字:予不好走貴公之門,雖情義所関,毎以無謂而止。或譲予曰:「奔走貴公,得不謂其喜乎?」或曰:「懼彼以不奔走為罪也。」
書き下し
予は貴公の門に走るを好まず。情義の關る所と雖も、每に無謂を以て止む。或るひと予を讓めて曰く、「貴公に奔走するは、其の喜ぶを謂はざるを得んや」と。或るひと曰く、「彼が奔走せざるを以て罪と為すを懼るるなり」と。
現代語訳
私は身分の高い方の門へ足を運ぶのを好みません。情や義が関わる場合でも、意味が無いと思ってやめることが多いのです。ある人が私を責めて言いました。身分の高い方のもとへ足を運べば、喜ばれるとは思いませんか。別の人が言いました。足を運ばないことを罪とされるのを恐れているのです。
解説
権門への出入りを避ける自分の態度に、二つの反論が寄せられる場面です。一つは喜ばれるだろうという功利の側、もう一つは足を運ばないと咎められるという恐れの側。どちらも実際に人が口にしそうな言葉です。この段は問いだけで終わり、答えは次の段に置かれます。問答の形を保ったまま二則に分かれている、珍しい構成になっています。
この章句が説くこと
権門出入り功利恐れ問答
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