呻吟語 / 内篇・修身・謔は有道の言に非ず
謔非有道之言也。孔於豈不戲?竟是道理上脫灑。今之戲者,媟矣,即有滑稽之巧,亦近俳優之流。凝靜者恥之。
新字:謔非有道之言也。孔於豈不戯?竟是道理上脫灑。今之戯者,媟矣,即有滑稽之巧,亦近俳優之流。凝静者恥之。
書き下し
謔は有道の言に非ざるなり。孔子豈に戲れざらんや。竟に是れ道理上の脫灑なり。今の戲るる者は、媟れたり。即ち滑稽の巧み有るも、亦た俳優の流に近し。凝靜なる者は之を恥づ。
現代語訳
ふざけは道を得た者の言葉ではありません。孔子が戯れなかったでしょうか。いえ、それは道理の上でのさっぱりとした軽みでした。今ふざける者は、下品になっています。たとえ滑稽の巧みさがあっても、役者の類に近い。静かに落ち着いた人はそれを恥じます。
解説
冗談を一律に禁じるのではなく、孔子も戯れたと認めます。ただしそれは道理の上でのさっぱりした軽みであって、今のふざけは馴れ合いと下品さに落ちている、と。区別の基準が、笑いの質ではなく出どころに置かれているのが要点です。滑稽が巧みであるほど役者に近づくという指摘も鋭く、上手さが値打ちにならない領域を示しています。
この章句が説くこと
冗談品軽み馴れ合い孔子
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