呻吟語 / 内篇・修身・聖賢は奢の名を諱まず
或問:「孔子緇衣羔裘,素衣麑裘,黃衣狐裘,無乃非位素之義與?」曰:「公此問甚好。慎修君子,寧失之儉素不妨。若論大中至正之道,得之為,有財卻儉不中禮,與無財不得為而侈然自奉者相去雖遠,而失中則均。聖賢不諱奢之名,不貪儉之美,只要道理上恰好耳。」
新字:或問:「孔子緇衣羔裘,素衣麑裘,黄衣狐裘,無乃非位素之義与?」曰:「公此問甚好。慎修君子,寧失之倹素不妨。若論大中至正之道,得之為,有財却倹不中礼,与無財不得為而侈然自奉者相去雖遠,而失中則均。聖賢不諱奢之名,不貪倹之美,只要道理上恰好耳。」
書き下し
或るひと問ふ、「孔子の緇衣羔裘、素衣麑裘、黃衣狐裘は、乃ち位素の義に非ざるか」と。曰く、「公の此の問ひは甚だ好し。慎修の君子は、寧ろ之を儉素に失するも妨げず。若し大中至正の道を論ぜば、之を得て為す、財有るも卻って儉にして禮に中らざるは、財無くして為すを得ずして侈然として自ら奉ずる者と相去ること遠しと雖も、中を失すれば則ち均し。聖賢は奢の名を諱まず、儉の美を貪らず。只だ道理上恰好なるを要するのみ」と。
現代語訳
ある人が問いました。孔子が黒い上着に子羊の裘、白い上着に子鹿の裘、黄色い上着に狐の裘を合わせたのは、位に応じて素であれという義に反しませんか。答えて言う。あなたのこの問いはとても良い。慎み修める君子なら、倹しさに寄って外れるのは構いません。しかし大いに中正な道を論ずるなら、財があるのに倹しすぎて礼に合わないのは、財が無くてできないのに驕って身を養う者とは大きく隔たっているとはいえ、中を失している点では同じです。聖賢は奢という評判を嫌がらず、倹という美点を貪りません。ただ道理の上でちょうど良いことだけを求めます。
解説

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