呻吟語 / 内篇・修身・面目都て是れ精神なれば漏泄已に多し
有德之容,深沉凝重,內充然有餘,外闃然無跡。若面目都是精神,即不出諸口,而漏泄已多矣。畢竟是養得浮淺,譬之無量人,一杯酒便達於面目。
新字:有徳之容,深沈凝重,内充然有余,外闃然無跡。若面目都是精神,即不出諸口,而漏泄已多矣。畢竟是養得浮浅,譬之無量人,一杯酒便達於面目。
書き下し
有德の容は、深沉凝重にして、內は充然として餘り有り、外は闃然として跡無し。若し面目都て是れ精神ならば、即ち諸を口に出ださざるも、漏泄已に多し。畢竟是れ養ひ得ること浮淺なり。之を譬ふれば量無き人の一杯の酒にして便ち面目に達するがごとし。
現代語訳
徳のある人の様子は、深く沈んで重々しく、内は満ち足りて余りがあり、外はひっそりとして跡がありません。もし顔つきがすっかり精気に満ちていれば、口に出さなくても、すでに漏れすぎています。結局それは養い方が浅いのです。たとえれば、酒に弱い人が一杯で顔に出るのと同じです。
解説
精気があふれている顔を、褒めるのではなく漏れていると見ます。内に満ちていれば外は静かなはずで、外に出ているのは量が少ないからだ、と。酒に弱い人が一杯で顔に出るという比喩が身も蓋もなく、器の小ささを言い当てています。生き生きした表情を美点と見る目からすれば意外ですが、気は盛んなるを忌むという先の段と一続きです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
徳表情器量漏れ内実
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