呻吟語 / 内篇・修身・小は大を害す、昭昭たり
言出諸口,身何與焉?而身亡。五味宜於口,腹何知焉?而腹病。小害大,昭昭也,而人每縱之徇之,恣其所出,供其所入。
新字:言出諸口,身何与焉?而身亡。五味宜於口,腹何知焉?而腹病。小害大,昭昭也,而人毎縦之徇之,恣其所出,供其所入。
書き下し
言は諸を口に出づ、身何ぞ與からんや。而して身亡ぶ。五味は口に宜し、腹何ぞ知らんや。而して腹病む。小の大を害するは、昭昭たり。而るに人每に之を縱にし之に徇ひ、其の出づる所を恣にし、其の入る所に供す。
現代語訳
言葉は口から出るもので、身には関わりがないはずです。それなのに身が滅びます。五つの味は口に合うもので、腹は知らないはずです。それなのに腹が病みます。小さなものが大きなものを害するのは、実にはっきりしています。それなのに人はいつもそれを野放しにし、それに従い、出るものを勝手にさせ、入るものを供え続けます。
解説
口という小さな器官が、身と腹という大きなものを壊すことを並べます。言葉が身を滅ぼし、味が腹を病ませる。どちらも口が入口です。そして人はその口に、出る自由と入る供給を与え続けている。前に出てきた、口には門が必要だという段と同じ主題を、害の側から描いた一段になっています。口ひとつが最大の危険箇所だという見方です。
この章句が説くこと
口言葉飲食害節制
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