呻吟語 / 内篇・修身・餘氣有れば便ち受用の處有り
人生得有餘氣,便有受用處。言盡口說,事盡意做,此是薄命子。
新字:人生得有余気,便有受用処。言尽口説,事尽意做,此是薄命子。
書き下し
人生餘氣有るを得ば、便ち受用の處有り。言は口說を盡くし、事は意做を盡くす、此れは是れ薄命の子なり。
現代語訳
人の一生は、余った力があってこそ使いどころが生まれます。言葉は言いたいだけ言い尽くし、事は思うだけやり尽くす。これは薄命の人です。
解説
言い尽くし、やり尽くすことを、褒めるのではなく薄命と呼びます。余りが無ければ、次に何かが起きたとき差し出すものが無いからです。全力を出し切るのが美徳とされる中で、余力を残せという逆の助言になっています。会話でも仕事でも、最後のひと押しを残しておく。その余白が、後から効いてくるという見方です。出し切らない構えが、次の機会を支えるということです。
この章句が説くこと
余力節制言葉余白長続き
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