呻吟語 / 内篇・修身・都て是れ這個の念頭
只一個貪愛心,第一可賤可恥。羊馬之於水草,蠅蟻之於腥羶,蜣螂之於積糞,都是這個念頭。是以君子制欲。
書き下し
只だ一個の貪愛の心、第一に賤しむ可く恥づ可し。羊馬の水草に於ける、蠅蟻の腥羶に於ける、蜣螂の積糞に於ける、都て是れ這個の念頭なり。是を以て君子は欲を制す。
現代語訳
ただ一つの貪り愛する心こそ、第一に賤しく恥ずべきものです。羊や馬が水草に向かい、蠅や蟻が生臭いものに向かい、糞ころがしが糞の山に向かうのも、みなこの同じ思いです。だから君子は欲を抑えます。
解説
貪りの心を、動物と並べて描きます。羊、蠅、糞ころがし。順に卑しくなる並べ方が意図的で、自分の欲がこの列に加わることを想像させます。相手が高級な物であっても、向かう心の形は同じだという指摘です。欲は悪だという抽象的な説教ではなく、三つの具体像だけで恥ずかしさを呼び起こす。呻吟語の短い段の作り方がよく出ています。
この章句が説くこと
貪欲卑しさ動物制欲恥
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