呻吟語 / 内篇・修身・我を毀るの言は聞く可し
毀我之言可聞,毀我之人不必問也。使我有此事也,彼雖不言,必有言之者。我聞而改之,是又得一不受業之師也。使我無此事耶,我雖不辯,必有辯之者。若聞而怒之,是又多一不受言之過也。
新字:毀我之言可聞,毀我之人不必問也。使我有此事也,彼雖不言,必有言之者。我聞而改之,是又得一不受業之師也。使我無此事耶,我雖不弁,必有弁之者。若聞而怒之,是又多一不受言之過也。
書き下し
我を毀るの言は聞く可し、我を毀るの人は問ふを必せざるなり。我をして此の事有らしむれば、彼言はずと雖も、必ず之を言ふ者有らん。我聞きて之を改むれば、是れ又た一の業を受けざるの師を得るなり。我をして此の事無からしめば、我辯ぜずと雖も、必ず之を辯ずる者有らん。若し聞きて之を怒らば、是れ又た一の言を受けざるの過ちを多くするなり。
現代語訳
自分を貶す言葉は聞いてよく、貶した人を問い詰める必要はありません。もし自分にその事があるなら、その人が言わなくても必ず誰かが言います。聞いて改めれば、月謝を取らない師を一人得たことになります。もし自分にその事が無いなら、弁明しなくても必ず誰かが弁明してくれます。もし聞いて怒るなら、言葉を受け入れない過ちを一つ増やすだけです。
解説
悪口への対処を、事実の有無で二つに分けます。事実があるなら改めればよく、無いなら放っておけばよい。どちらの場合も、言った相手を問い詰める必要はありません。そして怒った場合だけ、新しい過ちが一つ増えると言います。月謝を取らない師という言い方が軽妙で、批判を資源として扱う姿勢がよく表れています。言った相手ではなく、言われた中身だけを見よということです。
この章句が説くこと
悪口批判対処改める怒り
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