呻吟語 / 内篇・修身・其の言を樂しみて其の人を問はず
聽言觀行,是取人之道;樂其言而不問其人,是取善之道。今人惡聞善言,便訑訑曰:「彼能言而行不逮,言何足取?」是弗思也。吾之聽言也,為其言之有益於我耳。苟益於我,人之賢否奚問焉?衣敝枲者市文繡,食糟糠者市粱肉,將以人棄之乎?
新字:聴言観行,是取人之道;楽其言而不問其人,是取善之道。今人悪聞善言,便訑訑曰:「彼能言而行不逮,言何足取?」是弗思也。吾之聴言也,為其言之有益於我耳。苟益於我,人之賢否奚問焉?衣敝枲者市文繡,食糟糠者市粱肉,将以人棄之乎?
書き下し
言を聽き行ひを觀るは、是れ人を取るの道なり。其の言を樂しみて其の人を問はざるは、是れ善を取るの道なり。今人善言を聞くを惡み、便ち訑訑として曰く、「彼は能く言ひて行ひは逮ばず、言何ぞ取るに足らん」と。是れ思はざるなり。吾の言を聽くや、其の言の我に益有るが為なるのみ。苟しくも我に益あらば、人の賢否奚ぞ問はんや。敝れたる枲を衣る者も文繡を市ひ、糟糠を食らふ者も粱肉を市ふ。將に人を以て之を棄てんとするか。
現代語訳
言葉を聞き行いを観るのは、人を採る道です。その言葉を喜んで、その人を問わないのは、善を採る道です。今の人は善い言葉を聞くのを嫌い、得意げに言います。あの人は言うだけで行いが伴わない、言葉のどこが取るに足るのか、と。これは考えていません。私が言葉を聞くのは、その言葉が自分の益になるからです。自分の益になるなら、その人が賢いかどうかを問う必要があるでしょうか。破れた麻を着ている者も刺繍の布を買い、糟や糠を食べている者も上等な米や肉を買います。売り手を理由にそれを捨てるでしょうか。
解説
人を採るのと善を採るのは別の道だと切り分けます。人を採るなら言行を見るべきですが、良い言葉を取り入れるだけなら、誰が言ったかは関係ない。買い物のたとえが分かりやすく、粗末な暮らしをしている人でも良い品は買うのだから、売り手を理由に品を捨てはしません。言行不一致を理由に良い話まで捨てる癖を、損だと言い当てた一段です。
この章句が説くこと
言葉人物採用益区別
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